一柳 頼欽(ひとつやなぎ よりよし)は、江戸時代中期から後期の大名。伊予国小松藩6代藩主。
生涯
宝暦3年(1753年)、第5代藩主・一柳頼寿の次男として生まれる。母は堅性院。
長兄の一柳頼忠が早世したため、明和7年(1770年)閏6月に世子となった。頼欽の教育のため、竹鼻正脩が侍講に任じられている。
安永8年(1779年)8月7日、父の隠居により跡を継ぎ、同年12月に叙任する。
藩政においては、その治世中にたびたび火災に見舞われるという災難が続いた。
寛政8年(1796年)8月15日、江戸で死去し、跡を長男・頼親が継いだ。
系譜
『寛政重修諸家譜』によれば子女は3男5女。
- 父:一柳頼寿(1733-1785)
- 母:堅性院
- 正室:牧野惟成の娘
- 継室:琴松院 - 一柳末栄の娘
- 長男:一柳頼親(1791-1832)
- 側室:謙光院
- 生母不明の子女
- 女子:戸田光一正室
はじめ牧野惟成の娘を正室に迎えるが離縁。ついで、同族である小野藩主一柳末栄の娘を正室として迎えた。
脚注
参考文献
- 『寛政重修諸家譜』巻第六百四
外部リンク
- デジタル版 日本人名大辞典 Plus『一柳頼欽』 - コトバンク




