北条 長順(ほうじょう ちょうじゅん、? - 永禄12年12月6日(1570年1月12日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。覚胤の名も残る。北条幻庵の三男で後北条氏の家臣。公名を箱根少将。

生涯

箱根権現に入寺しており、箱根権現社別当職を継承することを予定されていたとされる。

永禄12年(1569年)、武田氏による駿河侵攻からの北条氏との敵対により、三増峠の戦い後の第三次駿河侵攻の際に武田勝頼の攻撃を受け、駿河蒲原城(静岡県)に篭城するが落城、兄である氏信(北条綱重)と共に討死した。

法名は融深(妙覚院融深殿)。法名は他に長順・覚胤と伝えられている融深の「融」字は宗哲から別当職を継承した融山の一字を承けたものであり、「長」「覚」の字も、父の関係者に多く見られるものであるから、法系ごとに数種の法名を有していたと考えられている。

脚注

参考文献

  • 下山治久『後北条氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2006年。ISBN 4-490-10696-3。 
  • 黒田基樹『北条早雲とその一族』新人物往来社、2007年7月。ISBN 978-4-404-03458-8。 

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