長崎縣護國神社(ながさきけんごこくじんじゃ)は、長崎県長崎市にある神社(護国神社)である。

明治維新から太平洋戦争(大東亜戦争)までの国難に殉じた長崎県関係の戦没者約6万柱を祀る。

歴史

明治2年(1869年)12月、長崎市梅ヶ崎に、戊辰戦争で戦死した藩士43柱を祀る梅ヶ崎招魂社が創建され、明治8年(1875年)5月、官祭梅ヶ崎招魂社となった。明治7年(1874年)、長崎市西小島に台湾の役の戦死者536柱を祀る佐古招魂社が創建され、以降、戦没者を合祀してきた。昭和14年(1939年)3月、招魂社の制度改正により両招魂社はそれぞれ「梅ヶ崎護国神社」および「佐古護国神社」となった。昭和17年(1942年)3月10日、両護国神社を合併して内務大臣指定の長崎縣護國神社とし、現在地に社殿を造営し、昭和19年(1944年)10月に城山の高台にて竣工・遷座した。

昭和20年(1945年)8月9日、原爆投下により全ての建造物を失い、御霊代を市外長与町岩渕神社、長崎市内の大崎神社の順に奉遷したのを経て、遷座前の佐古招魂社跡(梅ヶ崎天満宮)を仮宮とする。昭和38年(1963年)10月25日に再建され、昭和41年(1966年)に神社本庁別表神社に加列され、現在に至る。

脚注


長崎縣護國神社 長崎市/長崎県 Omairi(おまいり)

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護国神社(長崎市城栄町) エキテン