近藤 用義(こんどう もちよし)は、江戸時代前期の旗本。近藤秀用の四男。のちに秀用の遺領を分割して受け継ぐ「五近藤家」の一つ・井伊谷近藤家の家祖にあたる。

生涯

慶長元年(1596年)、近藤秀用の四男として生まれる。母は秀用の正室(本多信俊の娘)で、近藤季用・用可は同母兄である。

慶長年中(1596年 - 1615年)、徳川家康に御目見。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣には父とともに従軍。翌慶長20年/元和元年(1615年)の夏の陣にも従軍し、首級2つを挙げた。戦後は小姓組に属する。

寛永元年(1624年)、秀用が小田原城番に任じられると、秀用からの要請によって小田原に赴き、その職務を補佐した。寛永3年(1626年)、小田原で没する。享年31。同地の早雲寺に葬られた。

脚注

注釈

出典


近藤氏が『がん治療』への応用紹介 東日新聞

企業概要 近藤食品

練習 近藤:中日スポーツ・東京中日スポーツ

「歴史とは何か」新訳、近藤和彦さんインタビュー 問いかける知識人、新たなカー像 |好書好日

内外切抜通信社(近藤義昭社長)が毎日新聞WEBサイトで紹介されました 毎友会