天塩弥生駅(てしおやよいえき)は、北海道(上川支庁)名寄市字弥生にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)深名線の駅(廃駅)である。事務管理コードは▲121415。
歴史
- 1937年(昭和12年)11月10日 - 鉄道省名雨線の名寄駅 - 当駅間開通に伴い、初茶志内駅(はっちゃしない)として開業。一般駅。
- 1941年(昭和16年)10月10日 - 当駅 - 朱鞠内駅間が延伸開業し、全通。路線名を深名線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 日本国有鉄道に移管。
- 1951年(昭和26年)7月20日 - 天塩弥生駅に改称。
- 1960年(昭和35年)9月15日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止。
- 1982年(昭和57年)3月29日 - 無人駅化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR北海道に継承。
- 1995年(平成7年)9月4日 - 深名線の全線廃止に伴い、廃駅となる。
駅名の由来
旧駅名の「初茶志内」は、アイヌ語の「ハッチャウㇱナイ(hat-cha-us-nay)」(ヤマブドウを・摘む・いつもする・沢〔=いつもそこでヤマブドウをとる沢〕)に由来する。
その後、当駅が所在した地名から「弥生」の名称を採用し、既に幌内線に弥生駅があったことから旧国名の「天塩」を冠した。
駅構造
廃止時点で、1面1線の島式ホーム(※片面使用)を有する地上駅であった。ホームは、線路の北側(名寄方面に向かって左手側)に存在した。分岐器を持たない棒線駅となっていた。かつては1面2線の島式ホームを有する列車交換可能な交換駅であり、ここを始発・終着とする名寄駅からの区間列車も運転されていた。そのほか、駅舎側の線から駅舎側に分岐し駅舎東側の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた。使われなくなった駅舎側の1線は、交換設備運用廃止後は撤去された。貨物側線は1983年(昭和58年)4月時点では、分岐器が深川方、名寄方の両方向とも維持されていた形で残存していたが、1993年(平成5年)までに撤去された。ホーム前後の線路は分岐器の名残で湾曲していた。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が改築されて残っていた。駅舎は構内の北側に位置し、ホーム西側とを結ぶ通路で連絡した。駅舎は無人化後縮小され、待合室部分のみの間口の狭い建物となっていた(1993年(平成5年)時点ではこの形状)。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は22人。
- 1992年度(平成4年度)の1日当たりの乗降客数は4人。
駅周辺
名寄市内の山間に位置した。
- 北海道道798号西風連名寄線
- 弥生共同墓地
- 初茶志内山 - 駅の南。標高201m。
- ジェイ・アール北海道バス深名線「天塩弥生」停留所
駅跡
駅舎やホームは廃駅後しばらく放置された後、1998年(平成10年)に全て解体され、駅跡地は整地された。2000年(平成12年)時点では跡地が残るのみで、2010年(平成22年)時点では民家の裏の荒廃した空き地となっていた。2011年(平成23年)時点では駅附近の線路跡が確認でき、バラストが残存していた。駅名標のレプリカが名寄市の「名寄市北国博物館」にキマロキ編成とともに保存されている。
2015年(平成27年)、ある夫妻が天塩弥生駅跡地と周辺の土地を名寄市から購入し、2016年(平成28年)3月26日から「天塩弥生駅」の屋号で、昭和40年代までに建設された道内の駅舎をイメージした民宿を営業している。
隣の駅
- 北海道旅客鉄道
- 深名線
- 北母子里駅 - 天塩弥生駅 - 西名寄駅
脚注
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 特定地方交通線



