境町(さかえちょう)は明治3年(1870年)から昭和29年(1954年)にかけて鳥取県に存在した町。

年表

  • 明治3年(1870年)
    10月 - 境村と上道村出村鼻とが合併して新しく境町が誕生
  • 明治18年(1885年)
    - 境町1284番地(現在の栄町、大港神社境内)に境町役場新築(後に境小学校東側に移転)
  • 明治22年(1889年)
    10月1日 - 町村制施行により境町が町制施行し境町が発足
  • 明治28年(1895年)
    - 境台場跡に灯台設置
  • 明治35年(1902年)
    - 境-御来屋間に 鉄道開通
  • 明治38年(1905年)
    - 境商工会発足
  • 明治39年(1906年)
    - 境-舞鶴間に阪鶴丸就航
  • 明治40年(1907年)
    - 皇太子(大正天皇)山陰行啓
  • 明治42年(1909年)
    - 松江・境・美保関間に合同汽船が定期運航
  • 明治43年(1910年)
    - 隠岐汽船が境-元山の北鮮航路開設
  • 大正3年(1914年)
    - 境駅が北へ海岸よりに(現在地へ)延長移転する
  • 大正5年(1916年)
    - 国の港湾調査会で境港湾修築を決定
  • 大正6年(1917年)
    - 皇太子(昭和天皇)山陰行啓
  • 大正8年(1919年)
    - 境駅が「境港駅」と改名する
  • 大正13年(1924年)
    - 境警察署、中町に新築移転
  • 昭和4年(1929年)
    - 境-米子間にバス運転
  • 昭和10年(1935年)
    1月 - 境町大火 焼失家屋338
  • 昭和15年(1940年)
    - 鳥取県立境中学校開校
  • 昭和20年(1945年)
    - 軍用船玉栄丸爆発事故
  • 昭和29年(1954年)
    8月 - 境町廃町式

出来事

明治時代

境市政所創設

市政所創設に伴い、境町は次のように改められた。
戸数 六七三戸
石高 高二三八石八斗六舛六合 境分
高三九石六斗二舛一合 上道分
高合二七八石四斗八舛七合
町区画 花町三町 入船町三町
朝日町三町 相生町二町
末広町二町 栄町四町
松ヶ枝町四町 計二一町

なお翌4年に西灘地先を埋め立てて遊亀町を新設したので、二二町の区画となった。

町奉行 馬場金吾権大属、同後任 根来昇作権少属
町役人 町年寄 渡辺周蔵、町庄屋 面谷与九郎、町代 栢木定太郎

三役の下に一一人の目代が任命され、一人平均一二、三組の五人組を監督した。

花町一丁目、二丁目、三丁目 目代 為吉(門永)
入船町一丁目、二丁目、三丁目 目代 直三郎(足立)
朝日町一丁目、二丁目、三丁目 目代 只一郎(老松)
相生町一丁目 目代 周録(下西)
相生町二丁目、栄町一丁目 目代 登(畠中)
末広町一丁目、二丁目 目代 源九郎(岸本)
栄町二丁目、松ヶ枝町四丁目 目代 安九郎(山本)
栄町三丁目、松ヶ枝町一丁目 目代 茂平(堀)
栄町四丁目 目代 徳三郎(荒木)
松ヶ枝町三丁目 目代 権平(佐々木)
松ヶ枝町二丁目 目代 名雄六(前田)
西横目代年行司 茂平、東横目代年行司 周録

五人組の改編も行われ「組内の者は互に友吟味し、願届等は全て目代へ届けるよう」言い渡された。

昭和時代

昭和10年大火発生

昭和時代に入ると、境町は二度にわたり、大火で市街中心を焼失するという不運に見舞われた。最初は昭和10年(1935年)1月の大火であり、二度目は、その10年後、昭和20年(1945年)4月に起きた軍用船玉栄丸爆発事件によって引き起こされた戦災の受難である。
昭和10年(1935年)1月12日、この日は東北風の強い日であった。午後7時過ぎ、突如として栄町の一角から起こった火の手は、折からの強風にあおられて本町・松ヶ枝町・栄町・日ノ出町・京町へと延焼し、翌朝午前二時ごろにようやく鎮火した。焼失家屋338戸、損害額は約93万円であった。境町の繁華街を全焼した大火に、野坂寛治町長以下町の関係者は不眠不休で復旧作業に尽力した。

軍用船玉栄丸爆発事件

町名の変遷

明治・大正時代

明治3年(1870年)9月3日、境村は隣村上道村の出村であった鼻と合併して境町となった。そして次の7町に区画された。

栄町1-4丁目、松ヶ枝町1-4丁目、末広町1-2丁目、相生町1-2丁目、朝日町1-3丁目、入船町1-3丁目、花町1-3丁目。

ついで明治3年(1871年)に遊亀町を新設し、合せて8つの行政区画(小町)が出来た。しかしこれらの小町も明治20年(1887年)8月23日にいったん廃止され、単に「境町」とのみ呼称することとなった。

大正14年(1925年)12月の町議会で小町21町の設置を決議し、県知事の認可を得て大正15年(1926年)5月15日、次の21の大字の町名を設定し、あわせて地番改正を行った。新設の大字町名は次の通り。

岬町、花町、入船町、東雲町、朝日町、東本町、相生町、中町、末広町、:栄町、本町、松ヶ枝町、日ノ出町、京町、大正町、明治町、馬場崎町、蓮池町、浜ノ町、米川町、弥生町。

また、境町役場では、改正した地番を周知徹底させるため、新設の町名と改正した地番を記入した門標を作成して配布した。その準備のため、数日間は役場職員は総動員でこれにあたった。表記の方法は「境町何町(さかえまちなにまち)」と記し、「境町大字何町」という表記はせず大字の文字は省略するように指導した。

戸口の変遷

  • 文久3年(1863年)
    458戸
  • 明治3年(1870年)
    673戸
  • 明治15年(1882年)
    3698人 755戸
  • 明治28年(1895年)
    4267人 1000戸
  • 明治35年(1902年)
    5821人(男 2075、女 3116) 1183戸
  • 明治44年(1911年)
    6098人(男 2284、女 3258) 1315戸
  • 大正5年(1916年)
    5326人(男 2569、女 2757) 1288戸
  • 大正15年(1926年)
    6792人(男 3258、女 3534) 1611世帯
  • 昭和10年(1935年)
    6770人(男 3158、女 3612) 1529世帯
  • 昭和23年(1948年)
    8650人(男 4168、女 4482) 2094世帯

政治

町村長

町村長は町村会で選ばれ、町村会の議長も兼ねた。助役と共に無給の名誉職であったが、適任者がなかったり内部がもめたりして有給吏員を置く場合もあった。

初期の町村長には、庄屋、戸長の職を経験した者、あるいはその子孫が選ばれている。彼らの多くは県会、郡会にも進出し、上道村長稲賀龍二のように村長を務めながら、県会・郡会議員を兼ねた例もあった。

昭和前期戦時下の町村政を担当した町村長は苦悩の中に終戦を迎え、昭和21年(1946年)11月そろって公職追放を受けた。

昭和22年(1947年)4月には初の町村長選挙が行われ、公選町村長は終戦直後の多難な町村政に対応しながら、昭和29年(1954年)の6か町村合併を迎えた。

町村会

町村会の議員も名誉職で、任期は6年、3年ごとの半数改選であった。選挙権、披選挙権は地租あるいは直接国税2円以上の納入者に限定され、選挙人は全住民の1割強にすぎないという厳しい制限選挙であった。加えて議員定数の半数を一級選挙人(町村納税総額の2分1を納める者)が選び、あと半数を二級選挙人(一級を除いた選挙人)が選ぶという多額納税者に優位な等級選挙であった。

大正2年(1913年)の選挙からは任期4年の一斉改選となり大正10年(1921年)には等級制と選挙人の納税制限が廃止されて、選挙人も大幅に増加し、地方自治の前進を見た。

さらに昭和の新憲法下に入ると、女性にも参政権が認められ、余子村議に女性議員が登場、新時代を象徴した。

町長

  1. 手島俊甫 明治23年(1890年)1月 - 明治26年(1893年)12月
  2. 西村忠義 明治26年(1893年)12月 - 明治31年(1898年)12月
  3. 山本熊吉 明治32年(1899年)7月 - 明治33年(1900年)4月
  4. 西久平 明治34年(1901年)7月 - 明治37年(1904年)10月
  5. 加島恵太郎 明治38年(1905年)1月 - 明治39年(1906年)10月
  6. 杉谷卓 明治39年(1906年)11月 - 明治41年(1908年)9月
  7. 加島恵太郎 明治41年(1908年)11月 - 大正2年(1913年)11月
  8. 松下哲成 大正2年(1913年)11月 - 大正4年(1915年)6月
  9. 木村虎治郎 大正4年(1915年)7月 - 大正12年(1923年)7月
  10. 野口清三郎 大正13年(1924年)1月 - 昭和3年(1928年)1月
  11. 稲賀龍二 昭和3年(1928年)1月 - 昭和4年(1929年)5月
  12. 足立正 昭和4年(1929年)5月 - 昭和9年(1934年)3月
  13. 野坂寛治 昭和9年(1934年)3月 - 昭和10年(1935年)9月
  14. 木村虎治郎 昭和10年(1935年)10月 - 昭和11年(1936年)11月
  15. 景山圭一 昭和11年(1936年)11月 - 昭和16年(1941年)6月
  16. 松下道蔵 昭和16年(1941年)6月 - 昭和16年(1941年)8月
  17. 山本亮 昭和16年(1941年)9月 - 昭和21年(1946年)11月
  18. 足立民一郎 昭和22年(1947年)4月 - 昭和29年(1954年)7月

助役

助役職は名誉職・有給職と2名在任の時もあった

  • 西村忠義 明治23年(1890年)1月 - 明治26年(1893年)12月
  • 渡辺弥太郎 明治23年(1890年1月 - 明治28年(1895年)3月
  • 杉谷卓 明治28年(1895年)4月 - 明治30年(1897年)8月
  • 佐々木佳次 明治31年(1898年)2月 - 明治32年(1899年)7月
  • 植田伊六 明治33年(1900年)4月 - 明治37年(1904年)4月
  • 木村虎治郎 明治33年(1900年)4月 - 明治39年(1906年)12月
  • 杉谷卓 明治38年(1905年)9月 - 明治39年(1906年)11月
  • 木村虎治郎 明治41年(1908年)11月 - 大正4年(1915年)7月
  • 黒見八治郎 明治40年(1907年)1月 - 大正7年(1918年)11月
  • 酒井定一 大正7年(1918年)12月 - 昭和17年(1942年)12月
  • 景山圭一 昭和4年(1929年)11月 - 昭和8年(1933年)9月
  • 松下道蔵 昭和9年(1934年)3月 - 昭和10年(1935年)10月
  • 景山圭一 昭和10年(1935年)10月 - 昭和11年(1936年)11月
  • 松永誠一郎 昭和17年(1942年)12月 - 昭和21年(1946年)12月
  • 小浜岩雄 昭和20年(1945年)11月 - 昭和22年(1947年)5月
  • 山本潤 昭和22年(1947年)4月 - 昭和26年(1951年)1月
  • 下西文雄 昭和26年(1951年)4月 - 昭和27年(1952年)1月
  • 松下勇三 昭和27年(1952年)6月 - 昭和29年(1954年)8月

収入役

  1. 栢木馬太郎 明治23年(1890年)1月 - 明治23年(1890年)3月
  2. 山本熊吉 明治23年(1890年)3月 - 明治24年(1891年)3月
  3. 杉谷鉄蔵 明治24年(1891年)3月 - 明治28年(1895年)3月
  4. 門永群吉 明治28年(1895年)3月 - 明治30年(1897年)9月
  5. 手島俊甫 明治30年(1897年)9月 - 明治34年(1901年)9月
  6. 黒見久治郎 明治34年(1901年)9月 - 明治38年(1905年)1月
  7. 木下大蔵 明治38年(1905年)1月 - 明治38年(1905年)1月
  8. 畠中忠太郎 明治38年(1905年)1月 - 明治42年(1909年)1月
  9. 福島武道 明治42年(1909年)1月 - 大正6年(1917年)1月
  10. 酒井定一 大正6年(1917年)1月 - 大正7年(1918年)12月
  11. 能見好徳 大正8年(1919年)1月 - 大正14年(1925年)8月
  12. 小西長一 大正14年(1925年)8月 - 大正15年(1926年)2月
  13. 下西宏 大正15年(1926年)4月 - 昭和7年(1932年)4月
  14. 松永誠一郎 昭和7年(1932年)5月 - 昭和17年(1942年)12月
  15. 山本潤 昭和21年(1946年)2月 - 昭和22年(1947年)4月
  16. 荒木泰世 昭和22年(1947年)5月 - 昭和29年(1954年)8月

町会議員

町会議員は次の通り()は補欠、()は在任中死去、()は辞任、召集、取消、失格、隠居などを含む)

  • 明治22年(1889年)
    • 山本安九郎岡田庄作栢木節蔵渡辺丈五郎足立繁太郎足立多三郎面谷仲吉西久平杉山弥平西村忠義西村典重手島俊甫足立民一郎
  • 明治25年(1892年)
    • 山本熊吉武良惣平荒木徳三郎下西周禄西村忠義)、朝田儀平西村典重
  • 明治28年(1895年)
    • 足立民一郎)、加島房太郎)、渡辺丈五郎西久平松下哲成足立繁太郎)、佐々木善四郎)、村尾国平)()、植田虎市)、面谷仲吉
  • 明治31年(1898年)
    • 門永昇平)、黒見権平)、荒木徳三郎)、中村市太郎)、青木庄三郎)、畠中勝四郎)、朝田儀平)、西村忠義)、鍛治野正保)、松谷安一郎)、植田伊六)、杉谷卓
  • 明治33年(1900年)
    • 中村市太郎森弥作加島房太郎荒木徳三郎足立民一郎村尾国平西村忠義)、黒見繁吉朝田儀平)、酒井萬四郎西田周一郎)、黒見八治郎
  • 明治34年(1901年)
    • 面谷仲吉)、里見五平西久平)、松下哲成山本熊吉杉谷卓松谷曠由浪時三郎下西宏黒見八治郎
  • 明治37年(1904年)
    • 松尾初蔵足立民一郎)、里見周三加島房太郎)、福島武道)、朝田儀平酒井萬四郎木村六太郎加島房太郎)(
  • 明治40年(1907年)
    • 山本熊吉松下哲成里見五平)、門永昇平面谷友太郎木村虎治郎岡田庄作富谷熊吉由浪時三郎)、杉谷卓)、渡辺廣太郎)()、足立定太郎)、加島恵太郎
  • 明治43年(1910年)
    • 森弥作里見周三荒木久九郎足立好松植田文太郎下西宏西村勇治郎朝田儀平
  • 大正2年(1913年)
    • 岡田庄作杉谷虎太郎根平竹松荒木久九郎加島恵太郎里見周三山本熊吉松下哲成門永昇平植田文太郎木村虎治郎小酒長一面谷友太郎下西宏足立好松杉山音太郎朝田儀郎西村勇治郎
  • 大正6年(1917年)
    • 岡田庄作松下哲成植田文太郎松谷曠山本熊吉)、門永昇平杉谷虎太郎里見周三小酒長一木村虎治郎加島恵太郎面谷友太郎根平竹松黒田朝一下西宏杉山音太郎福島武道荒木久九郎
  • 大正10年(1921年)
    • 松下哲成岡田庄作足立民一郎木村虎治郎植田文太郎)、面谷友太郎富谷熊吉景山圭一杉谷虎太郎岡空林太郎加島恵太郎植田鉄郎安宅麻太郎里見周三杉山音太郎小酒長一)、足立寛吉酒井萬四郎
  • 大正14年(1925年)
    • 岡空林太郎角正義景山圭一岡田庄作渡辺英吉里見周三木村虎治郎山本亮 (政治家)面谷友太郎富谷熊吉安宅麻太郎下西宏)、足立民一郎植田鉄郎足立寛吉酒井萬四郎杉谷虎太郎宮本繁之助門永昇平
  • 昭和4年(1929年)
    • 林彦一郎足立助三郎渡辺英吉松下道蔵木村虎治郎岡空林太郎下西一小浜岩雄松本万一酒井萬四郎富谷熊吉小松金太郎黒見屯黒見鹿蔵植田哲郎)、門永昇平長栄善次郎杉山音太郎景山圭一
  • 昭和8年(1933年)
    • 林彦一郎岡空林太郎酒井都郷渡辺英吉松本万一黒見屯松下道蔵田中嘉作小浜岩雄足立助三郎富谷熊吉広島馨景山圭一大森茂木村虎治郎佐古益次郎酒井萬四郎下西一
  • 昭和12年(1937年)
    • 景山圭一田中嘉作酒井都郷木村虎治郎渡辺英吉林彦一郎足立助三郎松下道蔵中西一郎)、下西一広島馨佐古益次郎足立金次郎富谷熊吉石倉當命小浜岩雄黒見鹿蔵面谷亮
  • 昭和17年(1942年)
    • 柏木整一郎)、松本豊)、田中嘉作渡辺英吉足立民一郎酒井都郷野田次郎)、木村虎治郎黒見鹿蔵西尾万吉)、林彦一郎門永康治)、岡田洲二、()、面谷亮植田文雄小浜岩雄広島馨)、下西一足立富太郎)()、荒木泰世)、由木桂一郎)(
  • 昭和22年(1947年)
    • 足立富士郎法橋安市景山善次郎河西力雄西尾萬吉野田太郎中村実三景山圭一酒井都郷林彦一郎田中嘉作小浜岩雄足立富太郎面谷亮川島嘉太郎松下整吉権田文雄田中正範西村清美増谷慶一郎黒見鹿蔵)、下西二郎
  • 昭和26年(1951年)
    • 法橋安市西尾萬吉足立富士郎中村実三池田悌人植田鉄郎黒見乙三郎)、寺本利治門永康治松下整吉河西力雄権田文雄西村清美貝田徳太郎酒井都郷林彦一郎広島馨池淵巌足立富太郎河端晋柏木喜一郎大古戸宗治景山圭一

商業

市中商売根帳

花町の面谷宏家には、「辛未四月改、市中商売根帳、面谷性」と表題した帳面が蔵されている。辛未の年、つまり明治4年(1871年)の商業資料として貴重な存在である。多種の職種に、境港の明治初期の商業の盛況をしのばせる。

、酒造株 面谷与九郎 奈鹿屋敬蔵 栢木定太郎(小西屋吉太郎) ほか六名

、質屋 大家屋吉三郎 栢木定太郎店 下西屋周録 吉屋幾蔵 今津屋伴蔵

、木綿中買 松屋六七八 布袋屋久作 安田屋良八 米子屋平六 ほか三四名

、古手中買 川西屋源蔵 大西屋武作 広瀬屋文七 油東屋民蔵 ほか六名

、小問屋 新屋直三郎 中屋為吉 灘酒屋常吉 納屋茂一郎 ほか三〇名

、綿中買 油屋善八 広瀬屋与平 加嶋屋繁治郎 米子屋和七 ほか二二名

、諸品仲買 笹屋豊十 荒木屋徳三郎 加納屋文市 但馬屋直六 ほか五五名

、太物小間物 米屋民四郎 安宅屋久市 川戸屋勇三郎 名田屋藤四郎 ほか一一名

、紺屋職 中屋為吉 紺屋長九郎 新紺屋吉三郎 紺屋勇七 ほか一名

一〇、搗米屋 荒木屋徳三郎 油屋寛蔵 古屋治平 上野屋儀平 ほか四三名

一一、渡海船頭 山本屋亀市 ほか七三名

一二、宿屋 灘新屋只十郎 ほか四五名

一三、雑穀荒物 入船町 武蔵 ほか五七名

一四、絞油株 中油屋実蔵 ほか三名

一五、菜種屋 中村屋儀作 ほか三名

一七、仲仕稼 一一五名

一八、船方小宿 四九名

一九、医師 花町 儀庵 ほか七名

二〇、大工 雲津屋常蔵 ほか九名

二一、船大工 豆腐屋藤三郎 ほか二八名

二二、鍛冶職 西崎屋利∞平 ほか一七名

二三、桶屋職 松田屋長七 ほか七名

二四、飯盛宿 一八名

二五、木挽職 前中屋久郎

二六、刻煙草家業 小中屋熊吉 ほか二一名

二七、髪結 東屋 みや ほか一二名

二八、蕎麦屋 朝日町 丈七 ほか七名

二九、豆腐屋 結城屋常七 ほか一四名

三〇、練油、蝋燭株 納屋 茂七 酒井屋万四郎 米屋友治郎 栢木定太郎

三一、糀屋 味噌屋儀次郎 入船町 芳録 紺屋 柳七 ほか2名

三二、左官 松ヶ枝町 善八 紺屋 柳七 紺屋敬次郎 ソバ屋 丈七 平野屋

三三、綿打職 西村屋久四郎 中西屋清太郎 大山屋孫七 新紺屋平三郎 ほか一三名

三四、造酢屋 花町 房重 小西屋吉太郎 味噌屋儀次郎 相生町 与作 ほか三名

三五、居風呂屋 和泉屋市十郎 木締屋久吉 大西屋新七

三六、帆木綿仕立織 松屋清一郎 西村屋久平 酒井屋万四郎 油屋柳三郎 江村屋弥太郎

三七、白銀屋 松ヶ枝町 明暦屋林五郎 古屋治平

地名を付した屋号

境町には地名を付した屋号が多い。明治4年(1871年)現在で40軒もある。これらの屋号は境町と他港との交流、商取引の広さを示すものであり、また繁栄した境港に他国からの移住者が多かったことを表していると思われる。

越前屋、越後屋、安宅屋、小浜屋、但馬屋、兵庫屋、大阪屋、神戸屋、阿波屋、広島屋、山口屋、福岡屋、若松屋、長崎屋、石見屋、隠岐国屋、西郷屋、平田屋、橋津屋、米子屋、今津屋等

「市中商売根帳」のまとめによると、宿屋45戸、舟方小宿49戸、計94戸は全戸数673戸からみると大変多い数で7戸に1戸は宿屋ということになる。

仲買商も大変多く、133戸で全戸数の20パーセントに当たり、5戸に1戸は仲買商であった。これら宿屋や仲買商の多いということは、当時境港の入港船数や他国商人の出入がいかに多かったかを示すものであり、港は船と商人で大変なにぎわいを呈したものと思われる。

山陰実業名鑑

大正元年(1912年)『山陰実業名鑑』(綱島幸次郎編)によると、地価三百円以上の土地所有者、所得税納入者、営業税納入者は以下の通り。

苗字

  • 境地区(旧境村)には港の発展に伴って、江戸時代中ごろから転入者が増加した。明治以後は特に著しいが、「佐々木松下」は北弓浜の近隣諸村からの転入、「山本田中森脇寺本池田」は主として島根県の隠岐・八束両郡からの転入によるものと思われる。
  • 手島氏

尼子の重臣亀井能登守の家臣に手島四郎三郎あり。四郎三郎戦死後、その一子は雲州本庄に逃れ、その後境村に転住。その末裔の他一族も境村に多い(伯州浜の目境村之聞書)。

  • 森氏

境村の旧記では西小路、森家は境旧家29の1つとされ、古い家系を誇っていた。その家系図によれば人皇7代孝霊天皇の皇子正武彦命から45代餘見島宿弥守明の折、源義親との婚姻の伝承があり、それより9代守侶の時に後醍醐天皇より源姓と餘戸家の家号を賜ったとある。その頃から明応9年(1500年)の棟札に至るまで“宮脇姓”で、森家の家系図で森姓と明記されているのは、森次右衛門守祥の父森豊前守守益の時で、その代か、あるいは一つ先代の時頃に、森姓に移ったと推定されている。宮脇、源、森の姓もその時代時代に宮廷より賜ったもので、慶長年間(1596年から1615年)に屡々吉田殿に参代しており、下って天明元年(1781年)には従五位に叙せられたとも伝えられている。何故森姓に移ったかは明らかでない。夜見村(現在の米子市夜見町)は境村、余子神社神官、森守祥の次男六郎右衛門守連らが、延宝7年(1679年)官許を得て開発した

出身人物

実業家・政治家

  • 岡田洲二
    岡田商店会長、鳥取県議会議員、父は元境商工会会頭、岡田汽船社長岡田庄作
  • 松本豊
  • 加島恵太郎
    境町長(第5代、7代)、境町会議員 鳥取県議会議員
  • 山本熊吉
    第三代境町町長 収入役 町会議員 鳥取県会議員(議長)
  • 山本亮
    境町長(第17代)

政治家

  • 足立民一郎
    米助呉服店主、境町長、幼名は助三郎
  • 景山圭一
    医師・景山粛の孫 第十五代境町町長 助役 町会議員 鳥取県会議員(議長、副議長)
  • 広島了輔
    広島税理士事務所長、鳥取県会議員(副議長) 父は広島馨

実業家

  • 足立正
    足立繁太郎の長男 日本商工会議所会頭、王子製紙社長等歴任
    足立家は、繁太郎が多年にわたり境郵便局長をつとめたため、“郵便足立”とよばれていた。足立正は『私の履歴書』に「家業は酒造りであったが、かなりの田畑をもっていて耕作は小作人にまかせていた。代々大庄屋をつとめていたので、平民ではあったが、名字帯刀を許された郷士の家柄であった。そんなだから家には武芸をとうとぶ気風がのこっていて…」と書いている。
  • 足立龍雄
    実業家・足立正の長男 中村屋会長

教育者・学者

  • 黒田正巳 - 熊本大学名誉教授

文化人

  • 植田正治(写真家)
    植田文太郎の孫 世界的写真家
  • 杉谷代水
  • 水木しげる(漫画家)
    本名は武良茂 代表作はゲゲゲの鬼太郎

ゆかりある人物

居住経験者

  • 滝川一穂(医師)
    鳥取県東伯郡羽合町橋津出身 滝川家第11代当主 医学博士 滝川内科医院長
  • 櫻内幸雄(実業家、政治家)
    島根県広瀬町出身 商工、農林、大蔵各大臣を歴任
  • 河西力雄(政治家)

その他

  • 藤原銀次郎(実業家、政治家)
    • 長野県出身 日本の製紙王・王子製紙社長 妻が境町の由井家出身である
  • 加藤章(実業家)

脚注

関連項目

  • 港町
  • 夜見村 - 境出身の人の多くが、夜見村(現在の米子市夜見町)へ移住している

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鳥取県・境港の古い町並み「一路一会」

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【境港・鳥取】妖怪の街・境港。そして鳥取砂丘を訪れます。 City of monsters Sakaiminato and Tottori

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